夕方、何気なく開いた共有フォルダーの報告資料。そこに並ぶ文字列を目にした瞬間、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚がありました。
それは、かつて職場で受けた人格否定を伴う指導の記憶。
それまでの自分は心がとても穏やかで、過去の出来事や人間関係に対する「執着」からもきれいに離れられている感覚がありました。「自分はもう揺らがない、あの頃の傷は言えたんだ」とさえ思っていたのです。
しかし、その資料を見たことで、忘れていたはずの当時の感情が一気に引き戻されてしまいました。
言葉にして外へ発した瞬間、感情に「実体」が生まれてしまった
動揺した私はつい、同僚に向かって口にしてしまいました。
「この資料を見ると、昔受けた厳しい指導を思い出してしまうんだよね……」
言い終えた瞬間、やってしまったと思いました。愚痴ともとれるネガティブな発言。周囲に気を遣わせたいわけでも、愚痴を言いたいわけでもなかったのに、自分の動揺を抑えきれずに言葉として外へ吐き出してしまったのです。
そして気づいたのは、「言葉に出すことの影響力」の強さでした。
ただ頭の中で記憶がかすめた段階では、まだ浮遊していた感情にすぎませんでした。けれど、それをわざわざ言葉を選んで声に出したことで、過去の傷に「明確な形」を与えてしまったのです。
その結果、一度は揺らぎにくくなっていたはずの心が少しずつ侵食され、退勤して家に帰ってからも、どんよりとした感覚が消えてくれませんでした。
「まだまだ修行が足りない」と自分を責めなくていい
「こんなことで動揺するなんて、自分はまだまだ修行が足りない」 「もっと心を鍛えなければダメだ」
家に帰って一人になると、乱れた自分自身に対してそんな反省や責めの気持ちが湧いてきます。
けれど、冷静になって考えてみました。 人間である以上、強い刺激や記憶に触れれば心が揺れるのはごく自然なことです。どんなに心を整える練習を重ねていても、過去のトラウマや感情が完全に消えてなくなるわけではありません。
大切なのは、「揺れない完璧な心」を目指すことではなく、「揺れたときに、それ以上傷を広げない技術」を身につけることでした。
過去の記憶が蘇ったとき、心を守るための小さな練習
今回の失敗を通して、私が改めて実感した「感情が揺れたときの手放し方」です。
- 「口に出す」前に、ただその感覚を体で観察するネガティブな記憶が蘇ると、焦って言葉(愚痴や吐露)にしたくなります。しかし、言葉にすると記憶が強固になってしまいます。感情が込み上げたら、言葉にする前に「胸が苦しいな」「呼吸が浅くなっているな」と、ただ体の感覚としてじっと見つめ、静まるのを待ちます。
- 「過去のデータ」と「今の自分」を明確に切り離す画面に映る資料は、あくまで「過去に起きた出来事のデータ」であり、現在の自分を直接傷つける力はありません。記憶に引っ張られそうになったら、今座っている椅子の感触や、手元にあるペンに触れ、「今の自分は安全な場所にいる」と現実の感覚に意識を戻します。
- 口にしてしまった自分をそのまま許すもし言葉に出してしまっても、「またやってしまった」と自分を責める必要はありません。「それだけショックだったんだな」と自分の弱さをそのまま認め、そっと脇に置く練習を繰り返します。
心は揺れてもいい。また静かな場所へ戻ってくればいい
どれだけ心を整えていても、過去の記憶や言葉の力によって心が揺らぐ日はあります。
「一度整ったはずなのに、また元に戻ってしまった」と落胆する必要はありません。心が揺れたと気づけたこと、そして「言葉の影響力」を肌で実感できたこと自体が、前よりも自分の心と丁寧に向き合えている証拠です。
過去の傷がフラッシュバックしたときは、無理に打ち消そうとせず、言葉にもせず、ただ静かに手元の作業や自分の呼吸に意識を戻すこと。
揺れた心は、そうやって何度でも、静かで強い本来の場所へと戻していくことができます。
【ご留意事項(免責事項)】 ※本記事で紹介している思考法やキャリア観は、筆者の実体験および組織論・自己管理のアプローチに基づく個人的な知見です。職場環境での深刻なストレスやメンタルヘルスの不調を感じている場合は、自己判断に頼らず、専門のカウンセラーや医療機関、各種相談窓口にご相談いただくようお願いいたします。


コメント