思い通りにならない現実とサラリーマンのプライド。苦しみの原因は会社ではなく「執着」だった

働き方・キャリアの迷い

サラリーマンをやっていて、私が一番どん底でモヤモヤしていたときの話です。

当時、私はある社内プロジェクトのリーダーを任されていました。若い頃から「とにかく結果を出して認めてもらうんだ」とがむしゃらに走り続け、ようやく掴んだポジションです。自分のすべてを注ぎ込んでいましたし、それだけのプライドもありました。

ところが、組織の流れが変わる瞬間は本当にあっけなくやってきます。 ある時、会社の体制変更があって、畑違いの部署から新しいメンバーたちが次々と私のチームに入ってくるようになりました。今思えば、それが会社からの「お前の実力はどうなんだ」という見定め期間の始まりだったのだと思います。

それから数年が経った頃、決定的な人事が下りました。 かつての後輩が海外畑で実績を認められ、私の「直属の上司」として異動してきたのです。正直、驚きました。自分の実力不足を嫌というほど突きつけられた瞬間でした。

さらに追い打ちをかけるようにチームが細かく切り分けられ、これまで自分が中心になって育ててきた領域には、外部から新しくやってきた別の人が責任者として据えられました。日々の仕事もどこか噛み合わなくなり、職場にはいつも重苦しい空気が漂っていました。

「なんで自分ばかり、こんな目に遭うんだろう」

会社や周りへの恨めしい気持ちが湧き上がる一方で、「これが自分の実力なんだから仕方ない」と諦めようとする自分もいました。けれど、どうしても割り切れない。この場所で長く働いてきて、業務を熟知し、成果もそれなりに残せたというサラリーマンとしてのプライドがあったし、何より、これまで一緒に走ってくれた周りのメンバーたちへの責任があったからです。

割り切れないプライドと、メンバーへの責任感の間で、眠れない日々が始まりました。 「何が悪かったのか?」「あの時のあの行動がよくなかったのか?」と、自分自身の行動を細かく振り返っては、後悔することを毎晩繰り返していました。仕事も噛み合わない状態が続き、悩み抜いた末、私は自ら、そのポジションを降りる決断をしました。

何か救いを求めようと、休みの日はデパートに行くと必ず書店に立ち寄り、本をパラパラと拾い読みしていました。そんな中で、ある一言が目に飛び込んできたのです。

「人生のシナリオは、すべて自分で書いてきている」

その瞬間、求めていたものを探し当てたような感覚になりました。どん底にあった精神状態が、上向きになるきっかけをもらったのです。

先に述べた、この数年間の自分の身に起きた出来事。そして、自らポジションを降りたあの苦しい決断すらも、すべて自分が用意した人生のシナリオなのか――。そんなことは考えたこともありませんでした。

あのときの私は、ただただ現実を受け入れられずにいました。 積み上げてきた実績、リーダーという肩書き、自分の居場所、そして「自分が周りを守らなければ」という責任感。それらが自分のすべてになっていたのです。今振り返れば、私はその役割や肩書きに、激しくしがみついていました。

けれど、渦中にいるときはそんな自分を客観的に見る余裕なんてありません。「会社が悪い」「組織のやり方が理不尽だ」と、自分の実力不足を認めたくないばかりに、原因を外側にすり替えてみたりしては、思い通りにならない現実に心をすり減らす毎日でした。

そこから関連する書籍を読み漁るようになり、私は仏教でいう「執着」という概念を理解することができました。

この苦しみは、会社や組織が与えたものではない。手放したくないとしがみついている、自分の心そのものが作り出しているのだ、と気づくことができたのです。

自分に起きた一連の現象も、ポジションを降りるという決断も。「私の人生の後半戦を身軽に、自分らしく生きるために、自分が最初から作っていたシナリオだったんだ」と思えたとき、張り詰めていた心が、本当にスッと楽になりました。

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