「他人のモノサシ」で働くのをやめる。組織での役割交代を「最大のチャンス」に変える『正業』の教え

働き方・キャリアの迷い

サラリーマンをやっていて、役職やポジションを自ら降りた後、しばらくの間、私は一種の「燃え尽き症候群」のようになっていました。

それまでは「とにかく結果を出して、組織に認められるんだ」ということだけを目標に、必死に走ってきたわけです。長く同じ組織で仕事をしてきて、そのまま部門を引っ張っていく立場になる、というより、「自分が引っ張っていかなければならない」という義務感や正義感のようなものがありました。

それが突然、背負っていたはずのゴールを失ってしまった。毎朝、いつもと同じ時間に起きて満員電車に揺られているものの、「一体自分は、何のために働いているんだろう」と、ぽっかり心に穴が空いたような虚無感を感じていました。

大げさに言えば、組織の役割の中にいた頃は、周りからの評価や社内でのポジションという他人のモノサシに、自分で気づくこともなく、影響されていて、良くも悪くも、それが働くエネルギーになっていたのだと思います。

けれど、自分がどれだけ必死に責任を果たそうとしがみついていても、組織の都合やたった一度の人事で、その居場所はあっけなく変わってしまう。その現実を身をもって知りました。

仏教には「諸行無常」という有名な言葉があります。学生時分に暗記させられた平家物語の一節にもありますが、文字通り、形あるものはすべて移り変わっていく。会社の中の肩書きも、必死に守ろうとしていたポジションや役割も、永遠に続くものなんて何一つなかったわけです。

じゃあ、この「諸行無常の現実」を突きつけられて目標を見失ったとき、私たちはどうやって明日からの仕事に向き合えばいいんだろう?

そこで色々と調べていくうちに、仏教の「正業(しょうぎょう)」という考え方にたどり着きました。

仏教の根本的な実践徳目である『八正道(はっしょうどう)』の一つに数えられる言葉ですが、仏教の教理における一般的な定義では、その本質についてこのように説明されています。

「正業とは、単に道徳的に正しい職業を選ぶということだけではない。他人の評価や見返り、あるいは自己の損得勘定から離れ、いま目の前にあるなすべき仕事そのものに純粋に心を込め、調和した行動をとることである」 (※仏教聖典および八正道の解説通説より引用)

これって、単に「正しい仕事をする」という意味じゃなくて、「周りの評価や見返りを気にせず、目の前の仕事そのものに純粋に向き合う」ということなんだと分かってきます。

そもそも私たちは仕事をする時、どうしても「これをやったら人にどう思われるか」「自分の役割を維持できるか」という、外側の評価や立場ばかりに気を取られがちです。つまり、誰かが作った枠組みという「他人のモノサシ」に、自分で自分の心をすり減らしてしまっている状態です。

けれど、少し冷静になって世の中を見渡してみると、ある事実に気づきます。

「他人の評価や組織の枠組みなんて、それこそ移り変わる天気のようなもの。そんな不確実なものに、自分の人生の幸福度を委ねる必要なんてないじゃないか」ということです。

そう考えを切り替えてみると、働く目的そのものがガラリと変わってきます。 「評価されるため、役割を維持するため」に働くのをやめて、「自分の人生の時間を豊かにするため、そして目の前の仕事に集中するため」に働く。人生の主導権を、外側の環境から自分の手に、ようやく取り戻すような感覚です。

これまでの役割から外れることは、世間的には「後退」に見えるかもしれない。けれど仏教の視点から見れば、それは他人のモノサシから解放されて、自分の足で立ち直るための「最大のチャンス」なんだな、と深く納得がいきます。

もし今、組織の中での役割が変わったり、これまでの目標を見失ってモヤモヤしている方がいたら、それは「他人のモノサシ」を手放すタイミングが来たのかもしれません。 外側の天気に振り回されるのはやめて、明日からは、目の前の自分の仕事だけにそっと集中してみませんか?

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